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半分は共病記&半分は雑記帳

病気のために、頭・体・心全部が弱くなった老女です。老いと病に圧倒されないよう、なんとか意識を保ちたいと、ただそのために書いています。

「犀の角のようにただ独り歩め」からの突飛な連想&体調メモ

したこと・思ったことや体調メモ

2016/7/29
十二分に眠った後起きてまずトイレへ歩き出す。いつもなら一番スムーズに歩ける時なのに、なぜか脚が今までになく重く、腕も何もかも重い。杖に身体を預け、一歩ずつ前へ。

カーテンを開け、どうにか朝食を用意して終えるが、1年ぶりに、頭全体がレベル6~7の痛み始まる。何かおかしいと夫に声をかけ起こす。つらい頭痛は終日続き、もうろうとしてPCに触る気にもならない。

いつもなら3~4日で少し回復するのだが、なぜか一向に回復しない。ベッドでタブレットを見るのさえ30分でいやになる。トイレ・食事と最低のシャワーだけこなす日が2週間以上続く。熱こそないが、風邪で39度ぐらいの時の体調。

プラス左胸や腕・脚の痛みまでレベル6以上になると、せめて瞑想をと試すがまったく出来ず。起き上がって痛みをごまかす事もできず、ついに、涙が5~6滴流れる。ひたすら川の音とかすかな鳥の声のCDを流してうずくまる。わずかな力を集めてブログを3つアップ。

ぼう~っとした頭には、来し方のあれこれの思い出と、読んだあれこれの言葉だけがフワフワと浮かんでは消える。

2016/8/15
最悪。終日もうろうとして、深呼吸さえ出来なくなった。ついに本泣き。

2016/8/16から、わずかに持ち直す。20日間ほど、フワフワと頭に浮かんでは消える間に、3つ、気付いたことがあった。
今日は、その1。

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『スッタニパータ』には意味不明だからなおさら記憶に残る言葉がある。「犀の角のようにただ独り歩め」。あれはどういう意味だろうとぼんやり思っていた。

こちらの記事

ツノ、ありますけど…(2) ツノがあるゆえに: ポレポレで行こう!

によれば、犀の角は、実は骨ではなく、皮膚が角質化して何層にも積み重なって大きくなっていくらしい。成分は毛とほぼ同じ「ケラチン」というタンパク質。

犀の角は、他からの攻撃から身を守るのに、わずかに役に立つようだが、それ以外の役割はない。ただ、大きな体に飛び出てきただけで、それ自身では動く力もないし、犀の行動を左右することもない。

犀の角って、人間の快への欲求とか、意思とか、意志とかに似ていないか?
そんな突飛な連想が浮かんだ。 

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長い間、私は「自分の身体は自分の持ち物で、自分の意思である程度は支配できる部下みたいなもの」と思っていた。

例えば20歳からは、靴を変え、広めの歩幅で、ゆったりと歩くようにした。その方が気分がよかったからだ。41年間、その歩き方で、人込みの中をすりぬけて進むことができた。

明治生まれの夫の両親の要求に合わせ、二人を乗せて、1日120km走ることも習慣にした。車の運転は好きではなかったけれど。

無理をしては2年おきぐらいにギックリ腰で動けなくなる。でもじっとしていれば、3日ほどで少しずつ動けるようになる。

五十肩には3回なったが、医者には行かず、まず冷やし、それから暖める。時間はかかるが、3回とも自然に治った。

身体は、自分で「なんとかできるもの」と思って使ってきた。

10年前に、歩幅こそ変わらないが、なぜか脚が前に出なくなった。人の半分以下のスピードでしか歩けない。時には杖に頼らざるをえない。それでも、ただ自然の老化が早くきたのだと思っていた。

でも今回いろいろ浮かんだ思い出を並べると、他にもいくつもの変化があったのだ。

小銭の入った財布や、皮のバッグが重くなり、バッグを買い替え、小銭は出した。しまいに診察カードまで出した。すぐ近くのスーパーの買い物がしんどくなって、ネットでの注文・宅配に変えた。調理は午前中にすべて終わらせて、皮むきなどは夫にも手伝ってもらうようになっていた。

身体を締め付けるものがイヤになり、ブラやガードルはごくゆるいものを外出時しか、着けなくなった。TVの音や大きな画面がわずらわしくなって、自分用に小さなTVを買って、小さな音にした。それから、新聞を読むのがおっくうになり、TVを見るのもおっくになり、自然の風景と好きな映画のDVDだけ眺めるようになった。

夏は外の暑い空気を吸っただけで、息苦しくなって、ほんの20分歩いただけで不整脈が起きたり、動けなくなったりした。

祖父も同じような事を言っていたから、祖父に似たのだろう。家の中でたまに自転車をこぎ、ウォーキングマシンで歩き、ストレッチをしていれば、死ぬまではなんとか寝たきりにならずに持つだろうとタカをくくっていた。(祖父は74歳で心臓麻痺で亡くなった。)

ふりかえってみれば「自然の老化」にしては急な変化だったのだ。今の症状の芽は、すでに全部出揃っていたのに、それをちゃんと考えなかったわけだ。

寝不足なんてまぁ何とかなるし、後で休めば何とかなるさ。
そう思ってしんどいなと思っても、人の話を何時間も聞いたり、毎日PCの前に7~8時間座り続けた。

多分、そんな生き方がより多くの負担を身体に強いたのだ。

その結果、3年半前から、車椅子で身体を運んでもらうしかなくなったわけだ。(これは単に自分の解釈にすぎないが)

 

自分の身体は自分の持ち物などではなく、自分の欲求・意思・意志の部下でもない。

自分という意識・欲求・意思・意志は、犀の角のように、ただ身体から生まれたもので、身体が動くにつれて、位置が変わるだけのただの付属物。そんな気がした。

 

身体こそ、わたしのすべてを司る主人だったのだ。

生命が生まれ、人間の祖先が誕生して、更に1000億ぐらいの人たちの人生を通じ、時々の環境に応じ、多くの細胞がてんでばらばらに、自分にパッチを当て続けてきたようだ。

ウィンドウズが、毎月プログラムの更新で、バグ修正や対応のパッチを貼り続けているようなものだろう。

感情・考え・意欲・意志。
それらはみんな、バグとパッチの塊の身体に支配されているのかもしれない。もちろん、全体的にみれば、身体の修復機能は素晴らしく、繊細な連携プレイで、うまく働いているのだろう。

だからこそ、人は明らかな病気になるまでは、身体はうまく動かせるものだと安心している。

病気になって、いくら念じてもうんともすんとも身体がいうことを聞いてくれなくなって、身体こそが主人だったと、初めて気付く。

 

物心ついて60年間、なんという大きな錯覚をしてきたことか。

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実は「犀の角のようにただ独り歩め」の翻訳は誤りだそうだ。「犀のごとく一人で歩め」ということらしい。さらに、「ただ独り歩め」というのは、私が感じていたように、凡人にはやはりとても厳しい言葉だったようだ。歩めという命令ではなく、悟った人は、犀のように一人で歩いているという意味らしい。

参考サイト:

thierrybuddhist.hatenablog.com

法話375(スマナサーラ師の法話)

76263383.at.webry.info