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半分は共病記&半分は雑記帳

病気のために、頭・体・心全部が弱くなった老女です。老いと病に圧倒されないよう、なんとか意識を保ちたいと、ただそのために書いています。

岩崎 航さん:『病』と『病魔』は別のもの

自分を認め、励ます

ヨミドクターの、それぞれのページから抜粋引用。(改行・色づけしています)

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yomidr.yomiuri.co.jp

  点滴ポールに
  経管食
  生き抜くと
  いう
  旗印

 

  自分の力で
  見いだした
  ことのみが
  本当の暗闇の
  灯火(ともしび)となる

 

迷ってしまって、光も見えない時もあるけれども、それでもやっぱり飛び続けていく、生き続けていく。だから航。人生の大海原も、山坂も渡っていく。自分の人生を渡りきっていこうという思いを込めました 

 

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「病を否定してしまうと、自分を消すしかない。自分を全否定してしまうんです。でもそれでは始まらない。それでは、いつまでたっても自分を受け入れられない。自分じゃどうしようもできないものを追い求めたら苦しくなるし、追い込まれていく。

 

闘病という言葉がありますけれども、私は『病』と『病魔』は別のものだと考えています。私にとって闘病とは、病そのものと闘うことではなく、生きようという気持ちを奪う『病魔』と闘うこと。

病気っていうのは……、これまだうまく言葉にできないんですけれども、いやなものなんですね。本当に。

病を生じると、不自由さが表れたり、治療の苦しみもある。そこで打ちのめされてしまう。途方にくれる状況も生まれてくる。

そういう生きようという気持ちを弱め、もうだめだという気持ちにならせる力。それが私の表現する病魔

 

 「病魔は、自分の人生、与えられた命を生きようという内部の力を押しつぶしてしまう。そうするともう手も足も出なくなって、存在自体を消し去りたくなる。

 

そうすれば周りの状況も全部解決するし、こうやって苦しんでいること自体もなくなるという思いが湧いてくることがある。私も今でもそういう思いを抱くことがあるんですね。理屈ではない。本当に追いつめられてしまうと、そういう気持ちになる。

 

筋ジスの色々な症状は確かに簡単なものではないので怖いですが、それよりもっと怖いのは病魔。今では、死にたいとまでは思いませんけれども、そういうものと闘っていく、打ち克っていくというのが闘病ではないかというのが私の思いです」 

 

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  本当に
  そう思わなければ
  祈りでは
  なく
  呟きなんだ

 

  何にも言わずに
  さすってくれた
  祈りを込めて
  さすってくれた
  決して 忘れない

 

「ほんとうの気持ちに、ほんとうにそう思って返してくれた。私は、本当にそう思って言うことは『祈り』なのではないかと思うんです。魂の奥底から思ったことは、受け取った者の心を動かし、何かが動き出すんだと思います。それは、響き合うということだと思うんです。