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半分は共病記&半分は雑記帳

病気のために、頭・体・心全部が弱くなった老女です。老いと病に圧倒されないよう、なんとか意識を保ちたいと、ただそのために書いています。

晩年のキューブラー・ロスの言葉

自分を認め、励ます

昔々、『死ぬ瞬間』(On Death and Dying)を読んだ。
その頃は、「死」はまだ遠い先の事だったから、ただ流し読みした。

しばらく前にふと思い出し、彼女について少しネットを読む。
いたいたしい姿が浮かびあがってきて、涙がにじんだ。

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簡単な紹介:

チューリッヒに、三つ子姉妹の長女として生まれる。
父親との折り合いが悪く、医師の道に進む事に反対され、父から勘当。働きながら大学に通い、1957年、31歳でチューリッヒ大学医学部を卒業。大学で出会った夫と結婚。アメリカへ。

名声が高まるにつれ、世界中を東奔西走。無償のボランティアにも追われ、家に帰ることも少なくなる。夫や2人の子供たちは理解する一方で淋しさを味わう。

2回流産。
49歳で、夫から離婚を言い渡される。
夫は15年後に亡くなる。

68歳で仕事を止め、アリゾナの一軒家で一人暮らし。
翌年、脳卒中で倒れる。
以後、身体は不自由さを増すばかりになった。
彼女は死んで天国に召されることを望むが、
その時がなかなか来ないことに苛立ってくる。

78歳没。 

彼女の人生の旅路を思い描いてみる。

親の間との距離。早すぎる自立。
自分で働き、学校を続けるしんどさ。
異国で適応するための努力。

多くの医師や看護師が気にも留めなかったことへの注視とこだわり。

病める人たちがひそかに抱えていた思いを引き出し、
彼等のそばに座り、その心に寄り添い、
絶え間なく愛を与え続ける作業。

この果てのない旅が、
どれほど、彼女に緊張と高揚とプレッシャーを与えたか。

ほんのわずかだが、私にも想像できる。

彼女は、多分、
彼等と同じぐらい、自分が疲れ、傷つき、
悲しみがいっぱい溜まっていることに
気づく余裕さえなかったのだ。

時には気づいても、それを誰かに話そうと思わなかった。
話しても、わかってもらえるとは思えなかったからだ。

だから、胸に収め、次のやるべき仕事にかかるしかなかったのだ。

彼女の人生は、他人事じゃない。
彼女の旅は、私の旅を何百倍にも拡大したものだ。

自分のようにならないで・・・
彼女はそう言っている。

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キューブラー・ロス
『BSドキュメンタリー』キューブラー・ロスインタビュー

2001年、75歳(?)の時のインタビュー映像の後半。

(以下引用です。)

私は神に、あなたはヒトラーだと言ってやったの。
40年神に使える仕事をしてきて、やっと引退したら、
脳卒中で倒れなにも出来なくなった。いまいましいわ。
だから神をヒトラーと呼んだの。

 

私はまだ生きている 不幸にも……不幸にもね。
あなたたちに分かる? もう6年間 死にたいと思ってきたわ。でも死ねないの。

 

愛を受け入れるということに関して私は落第だった。
自分を愛するなんてとんでもないと思うから
あまり多くの愛を得られずにきた。
だから私は学ぶべきことになっているのよ。
嫌でたまらないけど。

 

最後に受け取るべき愛とはなにか?
言葉にはできない。
あなたにあればわかるわ。
なければ、わからない。

 

私は死んだら、もう一度ダンスを踊るのよ。
全ての銀河でダンスをするの。
生きているあいだ、あまりダンスをしなかったから。

 


著作『Life Lesson』から。

ライフ・レッスン (角川文庫) 文庫  2005/8/25

レビューなどから引用

私がお世話をしてきた全ての人たちとおなじように、
私自身もまた、どうすればもっと、 
自分を愛せるようになるかを、学ばなければならない。

 

毎日を「足りている」と感じることができれば、
どんなに気分がいいことだろう。
いま以上のものを必要とせず、
他をコントロールする必要性を感じなくなったとき、
人生はおのずと真の姿を現してくる。
いずれ、最後の日には、もう足りていることに気づくのだから。
最後の日を待つまでもなく、きょう、この場で、そのことに気づきたい…

 

死の床にある人たちが教えてくれた意外なレッスンのひとつは、いのちにかかわるような病気の宣告をうけたときに人生が終わるのではなく、そのときに人生がほんとうにはじまるということだった。

 

あなたが最後に海をながめたのはいつのことだろう?朝の空気を味わったのは?赤ん坊の髪の毛にさわったのは?美味しい料理を食べたのは?はだしで草のうえを歩いたのは?青い空をながめたのは?

 

・・・私たちはほんとうに人生にふれ、味わい、堪能しているのだろうか?。

 

死にゆく人たちが教えてくれる第一のレッスンは、毎日フルに生きるということなのだ。

 

困っている人や傷ついている人が差し出す手を
払いのけることなどできなかった。

そしてなぜか、
私の前に、いつも困っている人や傷ついた人が現れた。

彼等の話をうんうんと黙って何時間でも聞いていた。
私の他に、彼等の話を聞く人がいなかったから。

何か本当に言いたいことが出てきても、
心の奥にしまいこんだ。

言ったところで、跳ね返されるか、
怒りを買うだけだから。

一方で、なぜか、
私の前には強くて、他罰的な人がいつもが現れた。
理不尽だと思っても、彼等には、いつも引き下がり従ってきた。

 

こんな人たちにいつも囲まれて、
「自分ができることは、やらなきゃ・やらなきゃ」と追われていた。

これが私の運命と思ってきたが、
本当は、私の生き方の選択で、
気づかないままに、みずから、間違った選択をしたのだろう。

キューブラー・ロスは、そこに気づけと言っているようだ。

 

私は、ロスのように、死んでからではなく、
生きている間に、歌い、ダンスをしたい。
ロスと同じように、歌うことも、ダンスをしたこともなかったもの。

毎日を「足りている」と感じていきたい。
自分に愛を与えたい。

誰に遠慮することもなく、
自分の地声で言いたいことを言い、歌い、誰かとダンスをする。

面倒なことだが、これが、私の学ぶべきレッスン。

* ”ダンスの相手募集中” と書いてみる(笑)