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半分は共病記&半分は雑記帳

病気のために、頭・体・心全部が弱くなった老女です。老いと病に圧倒されないよう、なんとか意識を保ちたいと、ただそのために書いています。

花より葉っぱが好きだったよ!

素顔の自分は?

植物を身近において、楽しむ人が増えているようだ。
ガーデニングというのも増えているらしい。
花を見るために、出かける人も多いらしい。

そういう写真や映像を見ると、確かに、きれいだなと思う。
見事だな・・・と思う時もある。

思うけれど、見に行きたいとはあまり思わない。

私が好きなのは、きれいな花よりも、
小さな雑草や自生している野草の花。
あるいは、気まぐれで植えた
カボチャ・ビワ・カキなどの種の芽生え。

そして、一番心惹かれるのは、花より葉っぱだ。

なぜこんなふうになったのだろう、その原点はどこ? と思ったら、
小学校時代に見ていた草木に行き着いた。

今思えば、小学校時代はとても忙しかった。

学校ではしょっちゅうイジメに遭ったし、
放課後は先生の手伝いをさせられたし、

うちに帰れば、母が元気な時は家の手伝い、
母が入院すれば母親代わり。

なんだかいつも忙しく、
一人でぼんやりできたのはわずかな時間だった。

人がいない、自由で安全な場所で、
30分ぐらい、ぼんやりと空を仰いだり、
そこらの草や木を眺め、たまには夜空の月や星を見た。

一面灰色の空から、絶え間なく音もなく、落ちてくる雪。
早春には、薄い色の空から、静かな光が降ってくる。

梅雨や秋には、降り続ける雨。
春や秋の、いろいろな色の青い空に、いろいろな白い雲。

川べりの道に並んでいた数本のポプラの木。
大きくて、スクッとまっすぐに伸びて、
たくさんの葉っぱが、風に揺れていた。

誰もいないひっそりとした神社には、
1本の大きな木があって、根元にできた洞には、
たまに、小さなモノが隠されていた。

寺の裏の墓地には、真っ赤な彼岸花が咲き、
アカマンマの葉も風に揺れていた。

渋柿の木には、愛らしいクリーム色の花が咲いていた。

誰も見てない理科室横の小さな空き地には、
大きなネムノキの濃い緑の中に
ポワンポワンと、ピンクと白の花が咲き、

別の小さな細道には、ミョウガが自生して、
根元には、美しいミョウガの花が咲いた。
つやつやして、すっと伸びた美しい葉っぱ。

クズの葉は横にひろがり、どこまでも上へ上と登る。

寺には大きなイチョウの木が3本あって、
秋には、黄色の葉っぱがたくさん地面に重なった。
臭い匂いのせいか、誰も拾わない実がそこらに転がっていた。

サクラの幹には透明なまつやぎが固まり、
紅葉した葉っぱがとても美しかった。

川べりを反対に進んだ土手には、
早春には、ネコヤナギが白く光り、
秋には、ワレモコウが心細げに、静かに揺れていた。

一度も見たことはなかったが、
『ハイジ』に描かれるアルプスの小屋や野原にあこがれた。
大きな3本のモミの木はどんな音をたてるのだろう。
干草のマットはどんな匂いがするのだろう。

時間が止まったような不思議な時。

私は、今でも、
人によって栽培された草花ではなく、
あるいは、ジャガイモの花のように、
鑑賞のためではなく、食用のために植えられた植物の花が好きなんだ。

自然に生えた数本のコスモスが風に揺れるのは美しい。
でも、観光用に植えられたコスモス畑のコスモスを美しいとは思わない。

どっちも同じコスモスなのに、
このヘンな感覚。

でも、これが私だ。

私は、人々が自分の欲望で作り出したものが、あまり好きではないのかも。